4千の捕虜には4千の口〜アルフ解放

★「この饅頭は誰のだ?」のあと、アルフの一呼吸置くぐらいの映像が追加?

これも確実じゃないのですが、劇場版の方は「知るか!」が、もうちょっと早い気がしたので…。
何かもう激高してて、聞く耳持たずって印象だったんですよね。あ、パンに感情移入してるから
アルフが聞き分けなく見えたのかも(笑)

完全版の方は、アルフの顔のアップを見ると…何が何だか分からなくなってる、ってわけじゃ
ないみたいです。饅頭の説明されたら、「その『飢えた貧乏人を救う戦いだ』と言い出したのは
お前だろう?」って余計にパンへの怒りが増幅されちゃったような。

★つながれたアルフが「殺すな!」と叫ぶシーンに、弓を射る音が入ってる。

劇場版だとBGMだけだったような?アルフはもっと離れた場所に隔離されたんだと思ってました。
完全版だと、今まさに殺されている捕虜を間近に感じて叫んでるんですね…。

★矢を射る兵たちの映像がたくさん追加。目をつぶって射る兵とか。ウーヤンの顔のアップも多し。

完全版は主役級の三人のみならず、兵達の映像がたくさん。ここはむしろ、パンより兵とウーヤンに
重点を置いてる感じかなあ。「ウォーロード感想」の方にも書いたけど…顔を背けて矢を射る兵と、
泣きながらも目を見開いてるウーヤンの対比が印象的でした。心情的にはアルフに賛成したかったけど
パンが正しいと理解してしまったから、パンを選んだ。それを信じ続けるためには…目の前の光景から
目を逸らしてはならない。というような。

こんなにまでパンを信じることができたウーヤンだけど、やっぱりアルフを犠牲にすることだけは
許せなかった…。
投命状を誓ったからってこともあるけどなんだけど、もし…投命状を誓ってなかったとしたら、どうだったん
だろう?誓わなければ3人一緒に戦うこともないから、この「もし」は意味がないけど…「義兄弟を
傷つけし者には死を」って誓いがなかったとしたら、朝廷に言われてアルフを殺したパンを、ウーヤンは
理解するのかな?

多分…しないな。今じゃなくてずっと先、飢えた民がいなくなるようにするために、パンが総督でいるために、
朝廷から排除されないために、アルフは死ななくちゃいけなかった。と説明されたとしても…蘇城の時と
同じだと説明されて、理解しなくちゃいけない、と思ったとしても…きっと、「それでも理解できない」というより、
「理解したくない」ってとこで止まるような気がする。
でも、誓いがなかったら…パンを殺しに行くかどうかは…わからないな…。

★パンの顔が映るシーンが少なめになった?

劇場版だと、正面顔じゃなくて…なんて言うのかな、カメラが人物の周りを回りながら写したみたいな
映像があった気がするんですよね〜。でも、もっと動きがあってドラマチックな感じだった!と思い込んでて…
映像を脳内補完してるだけかも(笑)


アルフを引き止めるパンとウーヤン

★刀を抜くルー将軍が追加?

劇場版…刀を抜くルー将軍、いたっけ…?ここでルー将軍がいたらおかしいんだけど、刀を抜く音が
したのは覚えてるんだよね。ルー将軍だって気づかなかっただけなのか、それとも普通の兵士が
刀を抜く映像だったのか、音だけだったのか。…うーん、覚えてないなあ。

このシーンも、蘇城でアルフを連れてくのも、公開処刑の時も、最後のアルフ暗殺の時も、ルー将軍って
いわゆる「汚れ役」をやってくれる人なんですよね。結局はウーヤンが斬ったり止めたりしてるので、
アルフ暗殺の時以外は実際は手を下してるわけじゃないんだけど。

劇場版だとルー将軍って、ほんとにパンが辛い選択をしなくちゃいけないとき、とことん居ない編集なんですよ。
最後の、アルフ暗殺の時だけしかいない。「汚れ役」の人が居るから楽になるってことは無いとは思うけど、
ルー将軍は一応パンの意を汲んで動いてくれてるから…ウーヤンがその役を買って出なければルー将軍が
やるわけで、そうだったら…パンは弟に仲間を斬るようなことをさせずに済んだと考えると…。

あと、ルー将軍は元から将軍だから、上に立つ人の考え方が出来る人だろうと思います。そういう人がいるのと
いないのとじゃ、ちょっと違う気がするんですよね。

例えば、蘇城で四千人を処刑した後から南京戦までだって…口を利いてくれないアルフと、兄上が正しいから
パンについたけど多分心情的にはアルフに味方したかったウーヤンと、パンの三人しかいないんじゃ…
何も話ができないと思うんだよなあ…。ルー将軍だったら、「四千人の処刑は…そりゃ大変なことでしたが、
あの状況ではああするより他に手は無かったでしょうな。それより南京攻略戦ですが…」って感じに割り切って
話ができそうな気がします。

そういう人がいないようにするのも、「パンを孤独にする」作戦の編集なのかな。と思います。そう思って最初から
見てみると…

一人生き残ってリィエンには置いてけぼりにされ(これは完全版もだけど)ウーヤンに誘われて村に行ったら、
仲間に出来ないと言われる。(完全版では村に行く前に一戦闘あるので仲間になってる)。
舒城戦でルー将軍を引っ張り出すのはパン独りにかかってたように見えるし、少年兵の公開処刑は早まるし
ケンケン試合はカットされるしで、仲間としてみんなとじゃれあう機会は全然無かったし…
途中でルー将軍は帰っちゃうからチェン大臣にも見放されて、ディー大臣には食糧をもらえないだけで
なく、戦場で死ねと駄目押しされる。「娶る」が無いから死戦におもむくような悲壮感が漂うし…

う、悲しくなってきた。そういえば劇場版を見たとき、「パンは独りぼっちだ」って思ったもんなあ。

あ、でも最初の方の「太平軍への奇襲」の位置が変わってるのって、パンを独りにしとく時間を長くするって
意味の他に、パンが一度落ちてから立ち直るまでの時間を長くとる。って意味もあるかもですね。
劇場版は「パンを主役に」の編集だから、三人が仲間になる前にパンの心情が変わってく時間を長くとって
観客が感情移入しやすいようにする、みたいな。


南京入城〜報奨を分配するアルフ

★城に入る前に、京劇の映像が追加。戦闘シーンと、京劇映像が交互に

劇場版でこの京劇シーンがカットされたのは、中華圏じゃないと京劇って馴染みが薄いからかな?
(日本は結構京劇団来てるし、知ってる人も多いと思うんだけど、劇場版はインターナショナル版と
同じだと聞いたので。)

三人のメイクを三国志の劉備・関羽・張飛の三兄弟と同じにして、桃園の誓いと投名状をなぞらえてたり、
確か関羽の顔の赤い色は義に厚いって意味なので、それとアルフを重ねて見せる…ような演出かな?と
思うんだけど、京劇に馴染みがないと…まず奇抜なメイクにびっくりしそうだし(笑)

あと、時間短縮のためとか、ここではもう戦のシーンは必要ない、って事でカットされたのかも。
蘇城戦のあとはもう清軍VS太平天国軍の話じゃなく、人間関係とか権謀術数がメインになるので。
ここは最低限「南京が平定されて戦が終わった」ってことがわかる映像だけにとどめて、スピーディーに
場面転換して、蘇城でのパンとアルフの確執の印象をそのままつなげよう、って感じの編集かな〜。


クイ将軍と大臣の会話〜
パンとリィエンの逢引

★京劇を見てアルフが泣くシーンは、リィエンが席を立つ前で、かなり長めに

完全版のリィエンは、アルフが泣くとこ見てるんですね…。でも後ろ髪引かれる様子もなくパンの所へ
行くってことは、完全にパンに心を奪われてしまったのね。あの「娶る」が決め手だったのかな〜
それとも、南京に入ってからこんな風に泣くように弱くなったアルフに愛想尽かしちゃったのかな…。

ここのアンディさんの演技はやっぱりすごく好きだなあ!しかもこっちは長いし、見てるともらい泣き
してしまいます(泣)

劇場版の方は、リィエンはアルフの泣き顔を見てないので、「泣いている夫を見限って別の男の所へ
行く妻」じゃなくなってますね。やっぱり生の人間っぽいとこを消して、あくまで詩的に美しく描こうと
してるのかなあ。

しかしウーヤン…。アヤシイと思ってリィエンを尾行するとは。子供のように振舞っておきながら、
こういう男女の機微には聡いのか。侮れないなあ〜。

★パンが窓を閉めたあとのウーヤン…劇場版では無かったような?

劇場版だと、窓を閉めたところで場面が変わって、北京になったような気が…あやふやなのですが。。。
ここにウーヤンの顔のアップが来ると、ウーヤンに感情移入してしまいますね〜。「見られた!」って
意識じゃなくて、「見ちゃった!!」って気になりますもの(笑)


←前ページへ                                                次ページへ→

←比較表に戻る