食糧調達・大臣編

★大臣を待つパンとウーヤン。「戦死も餓死も同じこと」のシーン。

戦で勝つためなら兵が大勢死ぬ戦法も厭わないけど、兵士の餓死は許せない。兵のためなら一晩中
ひざまづいて待つことが出来るパン。って、すごく好きなシーンです。立ち上がる時よろけちゃうとこも(笑)
戦死も餓死も同じと語る大臣との考え方の違いが、はっきり示されたり。まあ大臣がこういう考えの人
だってことは、ここで示さなくてもわかるってことで…完全版では削除されちゃったのかな?


食糧調達・クイ軍編

★クイ陣営で、取引の話。食卓にのぼった魚についての会話はカット

「この魚が分け合う気になっただけの話だ」。ここ、パンの人生哲学っていったら大げさですが(笑)、
この会話でこう切り返す人なのか〜とわかって好きなシーンです♪クイ将軍の自慢話からその魚を
将軍になぞらえて、だから兵糧よこせ。に持ってく回転の速さも好き(笑)
この映画は、ストーリー進行に直接関係ない会話が少ない気がするので、それが聞ける貴重な
シーンだったんですよね〜。逆にそういう会話だから、削除の対象になったのかな?特典映像に
無いのは残念☆


塹壕デート

★怪しむウーヤンはカット

はい、またまたパンとリィエンの愛を語るコーナーです。今回は短め(笑)。

まずパンとリィエンが見詰め合うシーン。劇場版では、ウーヤンがリィエンに声をかけ、リィエンは
ウーヤンの方を向くんだけどまたパンに方に向き直る。で、ウーヤンが首をかしげるような映像があって、
その後ウーヤン位置からのカメラ視点で、パンを見つめるリィエンの立ち姿を写した映像があった…
気がします。ウーヤンがあきらかに怪しんでるとわかる編集です。

劇場版の方は「秘めた恋」みたいな赴きでちょっと儚いイメージもあるので、「人に知られる」という事は
非常に重要な意味を持つと思います。今まではずっと隠して心の中で育んできたものがですね、
人に知られる、ということは…そこで「秘めた」じゃなくなっちゃうので、その恋の命は終わってしまう
わけです。ちょっと言葉遊び的ですけども(笑)。

完全版の方は、ウーヤンがリィエンに声をかけたときの顔の変化は…ちょっと怪しんでる風にも
見えるけど、劇場版みたいにそこを強調する編集じゃなかったですね。多分、ここで「ウーヤンが
気づいて怪しんでる」ってことを観客にハッキリ印象づける必要はないんだと思います。なんとなく
におわせておいたら、南京でウーヤンがリィエンの後をつける伏線になるかな…ぐらいの表現です。

★リィエンがパンを突き飛ばすが再度抱き合い、パンがリィエンの服をむしり取るように脱がせるシーンが追加

上の続きです。ウーヤンに知られてしまった劇場版では、塹壕デートの追いかけっこと抱き合うシーンが…
「いつしか別れが来ると気がついている二人の、最後の抱擁」って感じの切なさを感じるんですよね。
その抱擁で暗転ですから、余韻を残した儚く美しいシーンになります。

劇場版は、あえて二人の行動を制限する手法をとることで、二人の愛に「静」という印象を与え、
映画中の戦の部分は「動」。二人の愛の部分は「静」。という対比で描きたかったのかな?という気も
してきました。

完全版の追いかけっこの後は、すごいですね〜☆抱き合ったあとリィエンがパンを突き飛ばし、さらに
また抱き合ってパンがリィエンの服をむしり取るように脱がせ、リィエンがパンの背に腕を回す?辺りで
暗転。身を焼かれるような激しい互いへの想い。体の奥から突き上げる衝動に身を任せ…って感じで
しょうかね(笑)うはー、激しいです☆

考えてみれば…5年以上顔もあわせず我慢してきたんだもんなあ…。
劇場版の方は、詩的な美しさでまとめたこのシーンですが、完全版の方はとっても生々しいです。
何て言うか…精神的なものとかイメージとかじゃなくて、人間そのものを描いてる感じがします。
あ、このシーンだけじゃなくて、全編通してそういうことなのかも。


蘇城城主とアルフ〜卯の刻

★パンたちに、アルフの伝言を伝えるリィエン

「英雄になりたいと」の「英雄」は、劇場版だと説明はありませんでしたが、完全版だとウーヤンが
ワラジのシーンで「英雄は他人のために犠牲となる」って言ってるので、多分完全版のアルフが
言うのもこの意味だと思います。

これだと劇場版とちょっと印象違うけど、でもやっぱりパンがショックを受けたことには変わりない
だろうなあ…。何で俺を信じてもう少し待たなかったのだ、とか、他人のために死ぬことだけが
英雄ではない。何故他人のために生きることを考えなかったのだ、とか色々。それはアルフを
非難してるだけじゃなく、アルフを失うのがつらいからでもあって…。きっとこの頃のパンにとって
アルフとウーヤンは、なにものにも代えがたい存在になっていたと思うから。

★「娶る」のシーンが追加

「娶る」………?めめ、娶るってー!!!ジェットの言うこのセリフを聞いてニヤニヤするためだけに
中国語を習いたい!と思ってしまいましたよ!(笑)完全版にはこんなすごいシーンがあるのですね〜!

しかしリィエンは心中複雑だよなあ…だってこのすぐ前に、合図が無いからアルフは死んじゃったと
思って、リィエン泣いてるんですよ。あの人が殺されたかも知れない瞬間に、私は別の男に抱かれてた。
って思ったら…どんな心境なのかって…想像が追いつかないです〜。。。

いやー、それにしても…ものすごくインパクトある発言ですね☆これが劇場版で削除された理由は…
「愛を違う形で描きたい」説と「パンを悲劇のヒーローに」説、両方使って攻めてみます(笑)

劇場版は、パンとリィエンの愛を表現するのに、二人の行動を制限する手法をとってます。それと、
あくまでも公に出来ないものであるという印象を強めるためか、二人が惹かれあうようになってからの
パンとリィエンの場面は、夜か屋内(舟含む)に限られます。いわゆる、「お天道様に顔向けできない」
を映像で見せてる感じ(笑)
「娶る」のシーンは、パンがまだ日の高いうちにすっごくインパクトある発言をするシーンですから、
上に挙げた演出に合わないわけです。

あと、このシーンの前の塹壕デートが余韻を残す終わり方だったので、ここで「娶る」って言っちゃうと…
あの切ないイメージとちょっと合わない気がするんですよね〜。

ここまで切なく悲しい系でまとめてきて、最後の抱擁をして、さあ戦いに行くぞって…とこですから、
「よっしゃ!生き残ってリィエンと結婚するぞー!!」って前向きな気持ちになられると困るのです(笑)
後ろ向きになれってことじゃなくてですね、あれですよ。「滅びの美学」というか「男の美学」というか…
「男にはな、負けると分かっていても戦わなきゃならねぇ時があるのよ」みたいなやつですよ(笑)

ルー将軍は去り、大臣の援助はもう無い。アルフも死んだ。そして昨夜…リィエンと最後の抱擁を…。
今、人生をかけた決戦に臨む。…ような演出にすると、ちょっと孤独な悲劇のヒーロー的でしょ?(笑)

そんなわけで、劇場版では「娶る」が無いんじゃないかな〜と思いました。

完全版のパンは再三書いてますが「野心家」です。彼は戦は博打と言ってますが、博打というのは、
勝つかも知れないし負けるかもしれないもので、必ず負けるものではない。少しでも勝つ可能性が
あるから無謀とも思える戦にも臨むわけで、どんなに追い詰められたとしても、まったく勝ち目の無い
戦はしないと思います。滅びの美学なんてものとは無縁です。

そういう人ですから、塹壕でリィエンと会って、今まで抑えてきた気持ちが止められなくなって…しかも
アルフが居なくなった今、止める必要もなくなった。となれば、目の前の戦をなんとしても生きて乗り
越えてリィエンを娶るぞ!の方向に行くのは至極当然だと思います。うーん、熱い男だなあ〜☆



…余談ですが…。上に挙げた「男にはな、負けるとわかっていても〜」のセリフは…『ルパソ三世』の
次元のセリフです(笑)

劇場版だと、兵がアルフの周りに集まる映像はあるけど、「アルフ!」の大合唱は入ってなかったような?

周囲の音を抑えてあると、ただ光景を写した映像ではなくて、それを見てる人の心象風景っぽい
雰囲気が出る気がします。というわけで、劇場版の方は「城から出てきたアルフを見て、色々な
意味でショックを受けてるパン」の視点で表現した感じ。

完全版の方は、三人が主役で、兵の心情も詳しく描こうとしてるから、特に誰の心象でもなく
ありのままその光景を、って感じかな?ドキュメンタリーっぽく。


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