舒城戦

★乱戦シーン、長めに

特に目立つ追加シーンはウーヤンが助けた仲間が顔を撃たれて死に、その弟が駆け寄る所。これに
ついては、後のウーヤンが村に帰って遺族に会うシーンのとこで書きます。

あと、目立った追加シーンは…大砲の反動で吹き飛ばされて動けない状態のパンが、山軍兵士に
目で合図すると兵士が大砲の前に立ちはだかり、粉々に吹き飛ばされるシーン。

これはすごいですね!何がすごいって、粉々になっちゃう兵にもびっくりでしたが(汗)、横たわって
こっちを見るパンの顔が!い…色っぽすぎる…。こんな顔でタスケテ光線を発せられたらですね、
老若男女を問わず皆助けに行っちゃいます!(笑)いや、助けに入るんじゃなくてパンに向かって
殺到するかも。兄上、余計危険です☆これはスクリーンでも見たかったなあ〜…そしたら涙をぬぐう
タオルのほかに、鼻血用にティッシュを持って行かなければ。箱で。…はっ!だからこのシーンは
カットされたのですね?そうか〜パンの色気顔はPG-12映画じゃなくてR-18くらいじゃないとダメ
なのですね〜(違)

この後の、槍で貫かれたまま崩れ落ちるパン様の顔もすごいんですよね!!伸びかけた辮髪が
乱れたぼさぼさ頭で埃にまみれた無精ヒゲ面の中年男がちょっといっちゃった顔で振り返る映像、
って言われたら、み…見たくないかも…と思うんだけど(笑)、何でこの人はこんなにステキなんで
しょうかねえ〜vv

09/10/14追記
そうそう、BGMが気になったのを書くの忘れてました。戦闘シーンでかかる曲(ウォーロードの
サイトでかかってる曲じゃない方)、パイレ一ツ・オブ・カリビアソでかかった曲に似てませんか?
曲は似てるのに戦ってる人たちの姿が…辮髪。ちょっとぷぷっと笑ってしまいました〜(笑)
でも劇場版見た時は、それ全然気づかなかったんですよ。劇場版では使われてなかったのかな…
それとも気づかなかっただけかな…?謎です。

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帰郷

★鎧姿のアルフの顔が映ってから、リィエンに振り返る。

完全版の方は、リィエンより先に観客には鎧姿の男がアルフだとわかる編集になってます。
そうすると…アルフの背後にいるリィエンは、どちらの男の背中を見つめているつもりなんだろう?
って考える一瞬が観客に与えられますね。あと、振り返った瞬間のリィエンの表情の変化が秀逸だと
思います。なんとも表現しがたい複雑な気持ちに見えて。

劇場版の方だと、鎧姿の男の後姿→リィエン近づく→振り返ったらアルフ。って展開で、「間」が
ないので…パンだと思って近寄ったのに、振り返ったらアルフじゃん!がっかり。みたいに見えました(笑)
こっちのリィエンは、かなり気持ちがパンに傾いてる感じです。

★死んだ兵の家族に、わらじと金を届けるウーヤンのシーンが追加

完全版はウーヤンが主役なのかも?と思ったシーンです。

劇場版はパンが主役の編集ですが、完全版は、三人が主役…と言うより、狂言回しの役割を担う
ウーヤンの比率が高い気がします。そのウーヤンの心情を描く重要な場面ですね。

出陣の時、家族から「生きて帰ってきて」とワラジを渡される村人のシーンがあって、その兵が
舒城の戦でウーヤンの目の前で死に、彼のワラジを届いるという展開。

明るい表通りで笑顔で金を受け取る村人達と、裏路地で泣く村人、という対比で戦争の表と裏を
表していたり、「もう盗賊ではない」という心境の変化もあるし、「英雄」についての一説はのちの
アルフの「英雄になりたい」への布石でもあったり。

でもね、このシーン…最初はちょっと批判的に見ちゃったんですよ。

何でかって、この村は盗賊時代も犠牲者は出てるんだから、当然遺族がいますよね。襲撃の
犠牲者と戦死者って呼び名は違ったって、家族の死を知らされたら遺族は同じように悲しむん
じゃないかなあ…って思って。どっちも同じく人は死んでるのに、盗賊時代の犠牲者の事は儀式
だけ映して、戦死者の方は遺族の悲しみを映すのは、不公平…って言ったら変だけど、「戦争は
良くない!」っていう作り手の主張が、ストーリーより強く見えちゃう気がして。

でも、違うんですね。

「小五が…」と悲しむ遺族にウーヤンは次のワラジを手渡すのをためらう。でも渡さなきゃならない。
渡した後「小七まで」と泣く彼女とウーヤンを映す画面の手前に、別のワラジが置いてある。これ…
遺族に受け取って貰えなかったのかな…。そのあと、ウーヤンを見て門を閉ざす村人達。

自分達が必要とする物資を得るための襲撃と戦では、死者の数は比べものにならないし、死に方も
違う。銃の的になるために戦場に立たされ、逃げることも許されず、祈りも無くうち捨てられた。
それを村人は知らなかったとしても…毎日傍にいるはずの家族と長い間離れ離れになって、挙句の
果てにワラジと金になって帰ってきた。って状況は、盗賊時代とはまったく違う。

元々が平和な農村じゃなくて、日常の中で死がもっと身近だった村の人達にだって、戦争というのは
到底受け入れられる物ではない。って意味もあるような気がしてきました。

ウーヤンを見る村人の目が変わったのは、きっと「うちの家族は、あいつらに奪われた」って気持ちに
なっちゃったから…なんだろうなあ。

ウーヤンにとっては、仲間だと思ってた村人達からそういう目で見られるのはとても悲しい事だけど、
彼はそれを受け止めるんですね。
もう、盗賊とは違う。自分達は、あの頃とは別の物のために戦っている。多分、もっと大きな物のために。
みたいな心境かなあ。ここで、後のパンの理想を理解する下地が出来た…感じでしょうか。


劇場版だとここは全部カットなので、このシーンの役割を「少年兵の公開処刑」シーンに割り当てて
いるんですね。だから舒城戦のすぐ後にそのシーンを持ってきたんじゃないかな?

山軍初めての戦でウーヤンは敵大将の首をとり、勝利する。その彼が今度は仲間の首を撥ねる事に
なる。この出来事で彼は戦争の表と裏を知る…のような。で、カットされた中の「英雄を望む」の一連の
モノローグも、ここの「そんな未来のために死ぬなら本望だ」のセリフに全部集約されてるんですね。

★アルフとリィエンの会話

完全版には、「ここはいやなんだろ」「戦が終わったらいい所に行こう」のセリフがあります。おお!
何だアルフ!リィエンが不満があることがわかってるのか!…でも…その「イヤ」なのは、「ここ」じゃ無くて、
なんて言うかその、多分…「アル………(以下略)
劇場版よりちょこっと察しが良いアルフですが、すれ違い夫婦なとこは一緒なんですね…悲しいなあ。


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