リィエンとパンの会話

★「自分の人生は自分で決めろ」

ここ、この映画中1番「全然違うー!!」と思ったシーンです。あ、終わり方が全然違う!と思ったのと同じぐらい。
なので、ガッツリ書かせていただきます☆
さ、覚悟はいいですか?長いですよー!(笑)

どうも私は劇場版を見たあとで、パンの人物紹介に『野心家』って書いてあるのがひっかかってたんですよ。
野心家といえば野心家なんだけど、やさしすぎるっていうか…。
多分、このシーンが原因です。

劇場版は「何故戻った」のあとは「どうして?」で終わりなんですよね。
野心家っていうと、もっと「欲しいものは手に入れる!」って感じのイメージなんだけど、パンの場合はこのシーンの
印象が強すぎて…何だろうな、繊細なイメージが焼き付いちゃってたみたいです。完全版を見てそれに気づきました。

「どうして?」の疑問形で終わりなのと、「自分の人生は自分で決めろ」っていう、リィエンの心にズバッと切り込む
発言があるのとでは、すっごく印象違います。完全版のパンを見ると、野心家という表現で違和感ないですもん。


なんでここ、こんなに変えたんだろう?って考えまして、思いついたことを書いてみます。


「場面の順序が異なることによって生じた、パンの心境の違いにふさわしいセリフへ変更した」説

劇場版はまだ映画が始まったばかりで、リィエンに助けられて生きてる実感を得てから、あまり時間が経っていません。
実感が得られたのと、目的を持って「やるぞー!」って気になるのとは別物なので、この辺りのパンは、いわば
リハビリ中。いつ復活するのかといえば、この後のクイ軍の襲撃を見てからじゃないかと思うんです。

クイ軍の旗を見て、自分の仲間がクイ軍に見殺しにされた悔しさや憎悪みたいな、攻撃的な感情が湧き上がる。
さらに目の前で虐げられる貧しい人々を見て、自分が役人だった頃に見た光景を思い出し、その時誓った事を
実現するために再び立ち上がろうと決心する…みたいな感じ。

完全版だと、太平軍を襲撃した時点で、パンの中の闘争心が目覚めた気がします。アルフ達に迎え入れ
られる頃には、「この集団の力があれば、俺は再び軍の一勢力に返り咲けるかもしれない」と考えるくらいまで
復活してそうです。

アルフとの夕食後に、腕組み?しながら歩く姿は、劇場版だと「もうここには居られないのか…これからどうしよう…」
と、途方にくれてるっぽい感じ。完全版では「この集団を動かすには、アルフを説得せねばなるまい。どうやって軍に
入る事を納得させるか…」と策を練ってる風にも見えます。

そこまで立ち直った、野心家としてのパンを表現するには、「自分の人生は〜」発言がふさわしいと思います。
片や劇場版の、「これからどうしよう…」って自分でも迷ってるパンが「自分の人生は自分で〜」といい出したら、何か
唐突過ぎる印象になると思うんですよね。だから、自然な流れにするためには「自分の〜」のセリフをを削る
必要があったんじゃないかと。


…うーん…これだけじゃ弱いかな。


あ、そうだ。
パンとリィエンのシーンって…ここだけじゃなくて、色々変わってるんですよね。リィエンがパンの元へ走るシーンが
無かったり、「娶る」が無かったり。時間的制約による削除じゃなくて、リィエンとパンを、極力行動させないように
意識した編集、って感じに見えます。よし、今度はそっちから攻めてみよう☆


「パンとリィエンの愛を別の形で描きたかった」説。

完全版の方の「自分の人生は〜」のセリフ、これはもうそのままガツンと、リィエンの心に響いたと思います。
ずっと周りの人々が望む生き方をしてきた彼女は、そんなことを言われたのは初めてだと思うし、一気に心を
鷲づかみにされちゃったんじゃないかなあ。前の晩の、可哀想なパンに対して感じた母性とは別の気持ちでパンに
ひきつけられて、このセリフで恋に落ちた!と言ってもいい場面かも。「自分の〜」って言う時のパンの表情は
見えませんが、相当男前で目力全開の顔だったんじゃないかな。それとも眉間にシワを寄せた渋カッコイイ顔かな?
ああ見てみたい〜vv

…しかしリィエン、よく耐えたなあ…。だってパン様にあんなこと言われたら、即「決めました!好きにして下さい☆」
ってそのまま坑道の奥へ行って、フェードアウトですよ普通。←普通? で、その間にクイ軍が来て、乱闘に
なって、止めるはずのパンがいないからウーヤンも加わり大乱闘。坑道から出てみたら、村は壊滅状態に…。
映画…終わっちゃいます(笑)いやあ、ほんとにリィエン、よく耐えたなあ☆

あっ、話がそれまくりです!戻します。

えー、一方劇場版。「何故戻った」のあと「どうして?」で、クイ軍が来て、会話が打ち切られます。決めゼリフが
ないので、尻切れトンボな印象かもしれません。しかしながら、この「どうして?」自体が既に決めゼリフである。
と、見ることもできます。

何故かといえば…もしかしたら、リィエンの人生において、こんな風に自分に質問を投げかけてくれる人も
始めてだったんじゃないか、と思うのです。

子供時代、遊びたい盛りの子に芸を仕込むわけですから、親も芸の師匠も相当厳しくしたと思います。親の意に
沿わないことをしたら、理由も聞かず頭ごなしに叱られるか、「何でこんなことをしたんだ!」って詰問されたり。
質問形式だけど子供の意見を聞くつもりはないパターンで、まともに理由を言おうとしたら「言い訳するな!」
ってまた叱られる、みたいな。想像しすぎかな(笑)

アルフに助けられたときは…もう人死にが出てて逃げなきゃって状況だから、一緒に来る?どうする?とか聞かれる
こともなかっただろうし…今のアルフは、リィエンを大事にはするけど、夫の威厳を保つことが重要で、意見を聞いて
尊重するってことはしなそうだし…ウーヤンは、リィエンに元気が無かったら十字架あげて慰めるような気遣いが
出来るやさしい子だけど、深く話をするタイプじゃ無い。

「どうして?」の時のパンは、リィエンを責めてる口調じゃないし、「あなたが何故戻ったのか、その理由が
知りたいんだ」という想いの入った悲しい瞳をしてます。リィエンにとっては、「あなたの心が知りたい」っていう
真剣な眼差しで見つめられることも、その瞳で「どうして?」って聞かれることも、「自分の人生は〜」と
言われるのと同じぐらい衝撃的で、心の深い所まで届いたんじゃないかな?と思うんですよね。

初めてといえば…自分がしたことでこれほど傷ついた人を見たのも、初めてだったかも知れません。人が望む
生き方をしてれば、自分は傷ついても、人を傷つけなくて済みますから。

そんな感じに考えてみますと…劇場版の方は、「自分の人生は自分で決められる」という事を、リィエン自身が
見つける。って展開にしたいのかな?って気がしてきました。パンは、「だが逃げた」とか「どうして?」発言で、
リィエンに考えるきっかけを与える役目。

完全版の方は、自分で決めたい気持ちはあるんだけど今一歩踏み出せないリィエンに「自分で決めろ」発言を
して、行動を起こすべきだと背中を押す役目。

一言でパンの役割を言えば、「スターター」と「ブースター」?(笑)


このまま次のパンとリィエンのシーンに行きたいところですが、そうするとまた長くなっていつまでもアップ
できないので、映画の順序通りに行きますね(笑)。全部書けたら、「二人の愛を違う形で描くために行われた
と推測される変更」みたいなページ作ってまとめようかなー☆
11/04追記
と…思ったけど、まいっか、という気になったので、まとめのページは作りませんです(笑)


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